31歳

 

 

 

 

 

30歳からプラス1歳ですね

 

 

伊野尾くん31歳のお誕生日、

おめでとうございます…!

 

 

31歳の伊野尾くん、はじめまして。

ふふふ

 

 

正確には31年前の19時14分にお生まれになったと昨年教えてくださりましたが、そのことを踏まえると少し早とちりですが、、、

 

おめでとうございます…💐

 

 

 

 

 

 

二ヒヒヒヒヒヒ☺️

二ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒニヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ

(暫しお付き合いください)

エヘヘヘヘヘヘエヘヘヘヘヘヘへへへへへヌフフフフフフフ

 

はぁ…嬉しい。うん嬉しい…。

水彩画を描いた時のようにじわ~っと、色が広がっていくみたいな。嬉しい気持ちが全細胞にバケツリレーのようにじんんわりと広がっていっている感覚、不思議だ

そして自然と笑みがダダ漏れてしまう、気持ち悪いゾ

 

 

新しく買った手帳にワクワクした気持ちと共に一番最初に書き込む予定、6月22日。

 

"伊野尾くんのお誕生日"

と書いて、付属のミッフィーの(どうでもいい)お誕生日シールを3枚も貼っちゃう豪華っぷり🦦

 

そんな日が訪れた今日は、手帳の6月22日の四角い枠も飛び出してきちゃうほど喜んでいるはずだ、私も地球から飛び出しそう

 

 

 

 私はこのブログを30歳になられてからの一年の中で、伊野尾くんへの気持ちを言葉にしたい!という衝動が訪れるたび、このブログの下書きに残すという、もはや私の心の金庫みたいに使っていた。

 

そして、お誕生日以前に一つの文章にまとめるというのが最近の私の恒例だ。

 

 

と、こう自分のしていることを言葉にしてみると、むににの日がレポート提出日みたく

"伊野尾くんへのラブレター提出期日"みたいになっていることに気づく

 

 

私にとっては6月22日が第一の元旦のようで。6月22日はある意味一年の区切りで。

(1月1日さんには二番手の元旦を担ってもらっています、すみません)(…………誰への謝罪?)

 

 

1年という言葉、1年という物差しが存在しなければ、時間を繰り返しているという感覚はきっと無くなり、時が永遠と進んでいく世界になるだろう

 

1年という物差しがあるからこそ、

きっと"1年"を振り返れる。

1年を振り返れるからこそ、

伊野尾くんがくれる毎日を、一日も余すことなく伊野尾くんにありがとうが言える

 

 

毎日言うとありがとうの株価が暴落してしまう気がするので(伊野尾くん主総会に引っ張られてんな)

1年分のありがとうのラブレターを2021年のこのむににの日にこっそり提出したいと思います。

 

 

 

 

 

 

このブログに思いを置き始めたのは2020年9月3日、木曜日だった。

 

 

この日は伊野尾くんが療養を終えられた日、

久しぶりにお目にかかれた日、である

 

 

 

5時過ぎ。

まだ外も暗く、家族を起こさないようにテレビだけがこうこうと点いていて。

世界がまだ目を覚ましていない朝、テレビの真ん前で正座して号泣してる20代女性の図は今思い返すと割と滑稽。

 

思い返せば、この近辺の数週間は流しそうめんができるんじゃないかっちゅうほど泣いた(いや汚いな)

 

治療法も実態も解明されていない未曾有の疫病を抱えることの怖さ、

周囲がご自分の感染がきっかけで様々な対応を強いられること、恩を忘れない伊野尾くんだからきっと、いっぱい自身を責めておられるだろうと……うん、想像できた。

  

 

その上時間があることは、思考を増加させていただろう。

密室でお一人で過ごされるということは、ネガティブにしか捉えられなくなるような不穏な悪魔たちがきっと伊野尾くんに迫っていたのではなかろうか。とも思った

 

ベッドで横になっている伊野尾くんの周りに不穏な悪魔達が集まっていることを想像すると、槍を持って飛び出していきたい気分だった。でも祈ることしかできないこの無力さと、この距離。

 

悪いことかのように、真髄とは裏腹な憶測で、鋭利な稚拙な言葉で、大好きな人を語られ、 今まで魅せてきてくれたものを無かったものかのように大好きな人の写真が使われる。

 

 

ただ伊野尾くんが抱えきれないほどの思いをひとりで毎日持ち続けているのだと思うと、ひとしきり泣いた。

もはや何の涙かも分からなくなっていた。

 

なんで私は伊野尾くんの連絡先を知らないんだ?ということまでも考えだしていた。

スマートフォンのロックを解除し、「あそっか、私知らないんだ」と思った時は自分で自分を撫でた。

 

 

 

"伊野尾くん!また待ってるね!"と笑顔で待っていることがきっと伊野尾くんのためだったろうにそれができるのには時間を要した。

 

 

再度この話をすれば伊野尾くんは「ん〜申し訳なかった」と少し申し訳なさそうに、でも少し明るい声色でおっしゃりそうで。

 

この時の思いを書き残そうか正直の所悩んだ。

無かったことにもできるこの時の思いだけど、何だか無かったことにしてはいけないような気がして。何でそう思うのかの理由もなんだか明白ではないのだけど。ん〜でも、残させてください…。

 

復帰されてからというと、

レギュラー番組の皆さんの温かいお声がけ

メンバーからの愛のあるブログ、言葉たち

伊野尾くんが大好きな方々からのたくさんのおかえりの声……

 

たくさんの温かい言葉で溢れていた。

 

 

伊野尾くんがこれまで魅せ続けてきたもの

伊野尾くんがこれまで周囲の皆様に見せていた姿勢、与えていたものたちが

復帰とともに伊野尾くんの元に跳ね返ってきたかのようだった

 

伊野尾くんのこれまで、伊野尾くんのお人柄こそ素晴らしいものであったのだと、そう言わんばかりの温かい言葉たちで溢れていたんだ

 

それが、とても、とっても嬉しかった

 

 

 

 

 

勿論それだけではない

 

伊野尾くんがこうやって立っていてくれること

伊野尾くんが笑顔を見せてくれること

伊野尾くんの声が聞けること

伊野尾くんが立つ居場所を支えてくださる方々がいること

 

 

いや〜〜〜〜〜〜痛感した。激痛感したね。

 

 

何度頭で立っていてくれることが当たり前ではないと言い聞かせていたって、一度当たり前がない状況を体験をすることにはその当たり前に気づくに及ばない(日本語アッテル?)

 

 

だから、そう気づかせてくれたからには伊野尾くんがくれる毎日にありがとう、伊野尾くんが魅せてくれる世界にありがとう、たくっさん言いたい!!と心が燃えた

 

 

8月9月はそんなずっと持っておきたい気持ちを教えてくれた月だった

 

 

 

 

 

 

 

結局30歳の伊野尾くんにはお会いできなかったなぁ

 

 

でも、寂しくなかったといえば嘘になるが、思っていたより寂しく無かったなぁとも思う

 

 

それは私自身が追われていた日常があったことも要因だと思うが、ひとえにHey! Say! JUMP、伊野尾くんの活動や存在のおかげだとヒシヒシヒスヒス感じている。

 

 

 

 

 

 

 

私は「慧」という漢字がすごくすごく好きだ。(急だな)

 

 

伊野尾くんのお名前を初めて知った時が、この漢字との初めての出会いだった。

そして、初めて伊野尾くんのお名前を見た時、この漢字を彗星の「彗」に「心」!と勝手に分解していた。

 

 とてつもない輝きを放ち、そして残像が見えないほど早く眩しいまま過ぎ去る彗星はなんだかめちゃくちゃ伊野尾くんそのものだなと思った

 

それに「彗」の上にある三に棒の部分は、笑った時に目の下に少しシワができる伊野尾くんの表情にも似てるなぁとと思う。

「心」はニーッと笑う伊野尾くんのお口みたいにニーッ!ってしてるなぁと思う

 

私は伊野尾くんがたっぷり詰まった「慧」という漢字が大好きだ

 

人生で一度くらいは好きな漢字は?と書かれたことがあるだろう。年末によく見る今年の漢字は?!の質問以外でどのタイミングでこの質問が飛び交うかはん〜ちょっと思い出せないけど、そう今聞かれたら…まあ恥ずかしくて言えないけれど心の中では「慧」という漢字が好きです!と言うはず

 

初めて「慧」さんうちわを作った高校生のころ、作っておきながらめちゃくちゃデヘデヘして照れたなぁ、ボソボソ

 

 

 

 

伊野尾くんのお名前はいつしか私の魔法の言葉になっていた

高校時代、よくノートの隅っこに伊野尾慧くんと書いてニヤニヤしていた。まあ大学生になっても変わらなかったのですがネ

 

ファンレターを書こうと思っても、第一関門はお名前だ。上手く書けず何度も書き直してしまう。伊野尾くんは光を纏った神聖なる言葉でもある

 

 

あ〜もう無理ってなったらこの呪文を一緒に唱えましょう!🪄という場面になったとき、私は「伊野尾くん伊野尾くん伊野尾くん…」とブツブツ言い出す(無意識)(怖)  

伊野尾くんを唱え出すとあっ自分疲れてんなと気付かされることもある(笑)

 

 

とにかく、伊野尾くんは私の心のお守りみたいな存在なのだなぁと最近思う。

 

安全基地というのだろうか。心の居場所というのだろうか。お名前だけというと違うかもしれないけれど、お名前だけで世界がパッと曇り空から太陽の光が差し込んできたかのような気持ちになる。

なかなか追うことができない毎日なのだけど、伊野尾くんがお守りみたく私の心にいてくれることが、どれほど励みになるか。

米を食べるよりも、お肉を食べるよりも、お寿司を食べるよりもきっとエネルギー出てる。ゼッタイ。(あ、お寿司食べたい)

 

 

 

伊野尾くんがずっと私の心でお守りみたく、いてくださったから寂しくなかったのかもしれないなぁと伊野尾くん30歳の一年を振り返って思う

 

 

 

 

 

 

 

 

それに今年は実際にお会いできるライブがなかったのにも関わらず、一方的に思いを寄せていたという感覚がなかったように思う

 

ん〜この言い方はおかしいかもしれないな。

一方的に思いを寄せているという感覚は常にないが、今年は会えなかったのにいつもよりたくさん伊野尾くんからの思いを感じ取れたように思う。

 

ファンからの「一方的な思い」と言う言葉自体、アイドルとファンの関係性にまつわる教科書があれば存在しない言葉のように思える。

それだけアイドルはファンからの思いに応えることが当たり前になっているのかもしれない。

 

 

 

もう2年前のライブになってしまうが、伊野尾くんがもう2メートルほど(体感30cm)のところという激近距離までソロでトロッコに乗って来てくださったという経験がある。あれは一生の運を使った確実に

 

ここは銀河????と錯覚するくらいカッコよくて、カッコイイって言葉を全世界から集めても足りないくらいカッコよくって、綺麗で、美しくて、神々しくって。

これはもう言葉にはできないほどの感情だったのだけど、笑顔で手を振ってくださった伊野尾くんがどうしても綺麗で堪らなくカッコ良かった。

 

でもそれだけじゃなくって、カッコ良さに圧倒されただけじゃなくて、

(人とは思えなかったのだけど)

人と人として伊野尾くんを間近で見て、「大事そうに」と言えばいいのか、凄くたまらなく優しい表情でファンを見てくださっているという感覚がギューーーーーーンギョーーーーーーーーンと私を襲った。

 

私はこの時、これまで勝手に送っていた思いたちを伊野尾くんに受け止めてもらったような気がした。

 

気づくと蛇口を捻ったように泣いていた

伊野尾くんが大好きだという思いで細胞が満たされ、溢れかえったかのようだった

今でも宝物の思い出で、今も思い出すだけで泣ける……。子役で泣きのお仕事がありましたらさせていただきますのでお待ちしています。

 

 

でも終演間近、「ファンサしろよな」という声が聞こえてきた。幻聴だったかな

 

 

たしかにバキュン!指ハート!とかうちわに向けてファンサービスをすることこそがアイドルの使命かのように思ってしまうこともあるよな

 

それが無ければ、やっぱり思いが「一方的」だと感じてしまって。だからこそ出てしまった言葉だったのかなと思う

(うちわにたくさん答えようとするアイドルの皆さんも一生懸命で本当に素敵で大好き!関係ない私が貰い死にしてる)

 

 

伊野尾くんはそういったことは比較的されない方かもしれないけれど、でも伊野尾くんってたくさん返してくださっているんだよ!(と私は勝手に思ってる)

 

その返しは必ずしも言葉や行動といった形ではないかもしれないけど、

どのような思いなのかはたしかに形として具体的に伝わるものではないかもしれないけれど、

 

ずっとライブで表情を見ていたらすごくすごくすごく優しい表情や笑顔を見せてくださって、

イヤーカフやカラーコンタクトをしてきてくださったことだって、

(メッッッッッッチャかっこよかッタ)

活動に対して思いだけじゃなくて実践的に取り組んでおられていたことだって、

突然始められた昆虫webだって、

先日のらじらーでも伊野尾くんがおっしゃった言葉や声の調子、優しい相槌だって、

 

私の心が堪らなく嬉しいって叫んでいるのだ。

私の思いは一方的ではないとそう思える。

 

 

 

どんなにおっしゃった言葉を別の人がスマホの電子文字に起こしてその言葉をなぞったとしても、伝わらないものがあって。

やっぱり伊野尾くんの声で、伊野尾くんの声のトーンで、スピードで。スマホの無機質な文字では伝わらない、心が感じるものがそこにはあって。(らじらー聴き逃し配信ございますのでよろしければ…)

 

 

勝手に私がいい風に受け取っているだけかもしれない。

本当のところは違った思いを持っておられるかもしれない。

でも、私が感じたことは私にとっては真実で。伊野尾くんの想いに触れるたび涙が出るのも真実で。

伊野尾くんが素敵な人だと私の心が叫んでいるのも真実で。

 

(伊野尾くんは伊野尾くん自身が感じた時に感じたことを表現してくださる方だと勝手に思っているが、だからこそ伊野尾くんから感じたことは確信が持てるのかもしれない。)

 

もしのもし、伊野尾くんが極悪人でも、

私が思った人ではなかったとしても、

これだけたくさん「大好き」をくださった伊野尾くんへのありがとうの気持ちは1gも変わることはない

これだけは言えるもんね!フフン!

 

 

伊野尾くんが大好きになれてよかった💐

好きって明確そうで不明確な感情だなぁとたまに思いますが…来年も好きだ!と、このブログを書いている保証は100%とは言えないけれど、今この瞬間伊野尾くんからありったけのありがとう!大好き!をいただいたこと、やっぱりこの言葉に尽きるのですが、ありがとうございます💐

 

 

 

 

結局なに書いてるかわからないブログになってしまいましたが、もし読んでくださった方がおられましたらありがとうございますの気持ちです………伊野尾くんかっこいいですよね…(急に話しかけるな)

 

 

 

 

 

また好き好き言ってしまうかもしれませんが、それだけご自分が素敵な方なのだと、ご自分のされてる仕事がこんなにも素敵なことだとご自分を褒めてくだされば嬉しいなぁ。

 

伊野尾くんに生かしていただいた人間として、伊野尾くんのすんんんばらしさの証明人として、私も私の人生を開拓していきたい

 

 

そして伊野尾くんには幸せであって欲しい…!(振られた当て馬役みたいなこと言うやん)

 

 

おいしいご飯を食べて、ふかふか布団で寝て、温かな夢を見て、伊野尾くんの大事な人たちとなんてないことで笑い合って過ごしてくだされば良いなぁ。

 

 

 

 

なんつって、何個も年が下の私にそんなこと言われても伊野尾くんは少し困っちゃうかな?

 

 

 

 

これからも伊野尾くんがくれる大切な時間と思いを、私も大切にしたい。

大切にするって何?について書こうと思ったけど長くなるからやめましょうね。

 

 

 

改めて、お誕生日おめでとうございます。

 

30歳の伊野尾くん、

私の好きな人になってくれてありがとう。

私の心のお守りになってくれてありがとう。

31歳の伊野尾くん、

どうか今後ともよろしくお願いします。

 

 

たくさんのありがとうをパンパカパンに込めて。

そしてドラマ決定、おめでとうございます。

 

 

 

 

💐

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