木曜日

※(唐突ですが)2022年4月から残していた何でもないブログ下書きの供養をさせてください…の巻です

 

 

 

 

「好きな曜日」と聞かれたらなんて答えますか。

 

お休みの土日が見え始めた金曜日

お休み真っ最中の土曜日

と思いきや、私の場合はそれが

「木曜日」でした。

 

今日は木曜日、

明日は木曜日、

あと何日頑張ったら木曜日、、

 

完全に「木曜日」が1週間のターニングポイントであり、7日間を横並びにした時にひょいとずば抜けているのが「木曜日」

 

寝起きの悪うオンナですが、木曜日の朝が来て目を開けた瞬間から身体のボルテージがギュギュギュン!とかけ上がるのが分かる。なんなら水曜日のお昼から眠るのが楽しみで、

切羽詰まった生活を送っていてなかなか起きれない日でも、今日も頑張ってらっしゃったんだと、そう思うだけで木曜日は家を出て学校に向かって歩いた私の足跡から音符がビュンビュン飛び出してきそうなほど、私の歩く足はルンルンしていて、電車のドアにもたれつつも口角はギュンギュンだった。マスクをしてからの生活はその口角の上がり具合は容赦なかった(ん〜思い出すと怖いね)

 

 

そんな木曜日の朝がなくなった今、私の1週間は以前より起伏がなくなったさら地のようになっている、ように感じる

箱根駅伝でたとえると中間の坂が無くなったみたいな(例えんでええんやで)

 

もちろん今までの「木曜日」がなくなった今も、月曜日火曜日にも金曜日土曜日日曜日までもみんなは楽しみを提供し続けてくれていて、そこが私の水分補給所として君臨し続けてくれている。ことさら感謝しかない、感謝に尽きる

 

なのになんてこんなわがままなこと思ってしまうんだろうね、いい加減にしろし自分よ………と思うこともしばしば……人の感情は時に不条理だぜ……と粋な言葉を天に向かって(心の中で)

 

終わりを告げたあの日から「木曜日」を思い出してポロポログハグハ泣いてしまう瞬間があって、ここの下書きに留めては落ち着き…を繰り返してて。

 

 

 

と、いったように

4月5月、私はまだ「木曜日」を探していました。

 

 

 

 

『何かが終わると何かが始まる』

 

 

 沈んでいた気持ちを抱えていた私を前向きな気持ちにさせようとしたのか、私の脳みそからこの言葉が発令されたようで、ふとこの言葉が頭をよぎりました

 

この言葉っていつの間にかそこらへんに漂っている、この世の摂理みたいな、そんなフリをした言葉だし…

一見前向きそうな核心をついたような言葉だけれども、正直終わりの寂しさや辛さに蹴りをつけるための都合の良い言葉でしょ…

と正直私の中のデビルンちゃんは不貞腐れたように、こんなことを思っていまして。

 

終わりは終わりやねん!始まりなんぞないんや…と、自分の中で出てきた言葉に自分で突っ込むというわけわかめ太郎なことをしてしまう私はやはり関西人なのだろうかと話が逸れるようなことを思いつつ、私の心はまだ「木曜日」がなくなったことを受け止めきれていなかったようです。

 

それゆえ録画機器の録画一覧の3月31日の放送は再生されぬまま、「NEW」のバッジがつけられたまま。それに、私は朝の情報番組自体を見ることに躊躇いを感じるようになっていました。

 

「木曜日」が終わってしまう理由なんて正直どうだってよくて、というのは少しの少しばかり嘘かもしれないけれど、「朝の番組の伊野尾くん」を思い起こす度に涙がホロリと出てきてしまうのはやはり終わってしまう事実が突如降りてきた絶壁のようで、まだ受け止めきれない悲しみを抱いているからなのかな…と思ったりもしました。

 

ホロリと涙が出てしまうのは、もう木曜日は来ない悲しさか、はたまた卒業の報告が思いもしないものだったからなのか。

それもそうなのかもしれないけど、心の根幹はどこかあったかさを帯びているような気もしていて、

ああ明日は木曜日!と思うだけで毎週毎週心が踊ってたな〜とか

「木曜日」が至福の時のように輝いて希望のように毎週そこにあったこととか

それが6年間も続いてたのか…とか

徹夜付けで厳しい生活やらに追われていて、時計が一周回って朝に伊野尾くんのお顔を見て「おはようございます」と言葉を返した時に、伊野尾くんだ〜〜〜ってホロホロ涙が出た日々とか

伊野尾くんが見せてくださる笑顔に私も朝っぱらから(まあ鏡で見たら最高におブスですが)最高に笑顔にしてもらったこととか

伊野尾くんのスーツ姿チョウカッコよかったな…とか

伊野尾くんのカッコよかったことを思い出してウヒヒウヒヒ言いながら学校までの自転車を漕いでいたら、もう揺ら揺ら揺れてっぞと友達に指摘されたこととか

周囲の方々をワッと笑わせる端的な一言や、あったかい言葉を瞬発的に発するところもカッコよかったな…でも表からはそれが軽やかに見えてご本人にとってはすごく挑戦的なものだったりしてたんだろうなとか

(長っ)

 

伊野尾くんが毎週木曜日の朝にくれた日常のひとつひとつの思い出とその積み重ねが本当に宝物で、そんなとんでもない宝物をくれたことへの感謝ゆえに私は泣いていただなと思ったのです。

 

アイドル活動をしながら朝の番組に出るということが伊野尾くんの肩にどれほどの荷が乗っていたかなんて、表しか見えない私にとって一生理解できないものですが、毎週カメラの前に立ってくださっていたことがどれほど私を救ってくれたかわかりません。

 

木曜日の朝に伊野尾くんのお姿を見て、ちょっとでも元気になった人がどれだけいるのか、伊野尾くんは想像したことがありますか?

 

「木曜日」をくれた伊野尾くんがどれほど素敵な人で、私の心をどれだけ救い上げてくれたのか伊野尾くんは知っていますか?

 

伊野尾くんの成し得たことってすごいんですよ!!!!!!!!!!!

もし私がお台場のおっきいビルのあの真ん中の球体だったらぐらんぐらん揺らして叫び散らかしていたことでしょう。(😒)

 

伊野尾くんがくれた"木曜日"にただただありがとうを、

伊野尾くんがくれたこの6年間の"木曜日"たちにありがとうを、この先もずっと言い続けていきたい

 

「アイドルの方の活動のおかげで頑張れました。」みたいなアイドルの方々からしたらありふれた言葉かもしれない言葉に辿り着いてしまうのですが、私が泣きじゃくった涙の意味を私の涙に何度問いかけてみてもやっぱりこの言葉に尽きるのです

 

 

「何かが終わると何かが始まる」の「始まる」はこの場合新しい仕事が決まることのように思えるけれど、必ずしもそうではないのかなと、思ったりしました。

「木曜日」が終わったからこそ、今までいただいた「木曜日」という宝物への感謝の思いでいっぱいにさせていただいた。今までの「木曜日」の日々たちが輝きを帯びて私のキラキラした思い出となってくれた。あの言葉はあながち間違っていなかったのかも。

 

 

約1年経とうとしている今、自分の中で「木曜日」は "思い出したら泣いてしまうもの" から、ぷつんと "楽しかった思い出" に切り替わっているのです。時間がそうさせたのか、変わらず伊野尾くんがこの1年楽しい気持ちと大好きな気持ちを与えて続けてくださったからか。

 

そこで、今まで書き留めてきた「木曜日」への気持ちを宝物箱にそっとしまえるように、このブログを発散(発散?)しようかなと思った次第です。

 

 

 

私に「木曜日」をくれてありがとう!

 

きっとこれからも木曜日は特別な曜日。☺️

 

これは6年も与え続けてくださった「木曜日」への私のとてつもなく壮大な感謝の記録、伊野尾くんは大きな大きなことを成し遂げてれたんだよっていう記録✉️

 

ちょっと時間はかかってしまったけれど、改めて本当にありがとうございました💐

お疲れ様でした🌌

 

 

先日ふと最終の放送回を編集しようかなという思いが芽生えたので、再生ボタンを押して編集をしてみました。

 

最後だからといって変わる様子もなく、いつも通りしてくださった姿もまた伊野尾くんらしい締めくくりだなと思ったり。

(おっと、伊野尾くんは「伊野尾くんらしい」という言葉で自分の行動を締め括られるのはあんまり好ましく思ってないのではないかと勝手に思っているので…) 私にとっての「伊野尾くんらしい」が詰まっていました。それに、最後は一生もののとびっきりの宝物の言葉をもらったなって。

 

もう一度再生するのにだいぶ時間がかかったけれど、これも思い出🗽

伊野尾くんと過ごせた2022、最高に楽しかった🌌またどんなになるかわからない2023、一緒に楽しめたら嬉しいです🌱

 

 

長々と読んでくださった方がいたらありがどうございます…………皆さんにとっての「木曜日」もいつか聞けたら嬉しいです🌵

 

〇〇歳

 

 

365日のなかで何でもないいつでも見られる空が一番綺麗に愛おしく思える日がやってきた

 

私の人生における特異的で異質な存在、伊野尾くんのお誕生日がやってきた

 

ウグググググググ

 

 

むふふ

伊野尾くん、お誕生日おめでとうございます

 

 

 

 

この前映画を見ていたら「誰かを好きになる時、その人の何をみているのだろう」と何かの映画の予告で聞こえてきた

 

「みる」と言われると視覚的な意味の「見る」を思い起こさせるから、やっぱり容姿が1番に浮かぶかな

 

伊野尾くんの脚の長いすらっとしたお姿も、ちょっと意外に大きい背中も、笑った時に目の下に素敵なしわができるところも、何もかも全部カッコよくってかっこいい

 

むふふ

 

それに、伊野尾くんの言葉はスパンコールみたいなキラキラを纏って私の耳に入る

伊野尾くんから出る言葉も好きになる時にみていたものだろう

何気ないブログの無機質な文字だって、伊野尾くんが書いたとなれば文字だって絵文字だって一段と特別な文字にみえる

 

そうすると好きになる時に何をみているかって、視覚によるものだけでもないよなと思ったり。

 

と考えたら、伊野尾くんが好きと思う瞬間は数多とあるし切りないな!と私は伊野尾くんを好きになる時に何を見ているんだろうと考えるのをやめて映画に集中した

 

今考えても、好きになる時にその人の何をみているかの答えは数多とある中で、その項目を挙げることって数多とある中のいくつかしか拾い上げられない行為だなとやっぱり思う

 

「その人の何をみてるか」を考えるのは愚問であり、……ぐ…愚問はいいすぎだね? 人それぞれその折々で答えは変わるから答えを正確に導くことは難しい質問だな。

 

 でも伊野尾くんが好きだ!と感じる時って、いつだって自分の胸の高なりがあるからで、その「自分の心の動き」が私にいつも伊野尾くんが好きだという気持ちを教えてくれる

 

「その人の何か」もそうだけど、「自分の心の動き」をみてその人を好きなことを自覚するのは誰だってどんな時だって同じジャン❕と気づいたりもしました

 

ってずっと当たり前のことタラタラツラツラ言ってますね🙃読んでくださってたらありがとうございますハグしに行きます

 

 

ま〜〜〜〜〜〜〜〜自分の心が動くってメチャクチャに楽しいよね

 

自分から「キャー」なんて黄色い声が出る日が来るなんて思ってもみなかったし、楽しいことだけでなくって泣きたくなるような時に目が腫れるくらい泣いたりすることもある

 

自分の心が動く時ってめちゃくちゃ生きてる❕って感じてるのかも

 

これも最近見たドラマで、ホストと楽しい時間を過ごした女の子がお金で繋がった関係だけどこの時間は「自分が主役だって思える」っていうニュアンスのセリフがあったんですが、伊野尾くんをみて自分の心が動くことって自分が人生の主役だって思わせてくれていたんだってそこで思ったのです

 

伊野尾くんにウヒャウヒャバンバン動かしてもらっている私の心ですが、伊野尾くんに心が動く楽しさをたんまりたっくさん教えてもらったので、今度はそれを糧に私自身の力で自分の心を動かせるよう日々精進したいなと思ったこの頃です

それに、伊野尾くんみたいにたくさんいろんなことに自分から挑戦できる大人って素敵だなと思うし、年々素敵になっていく伊野尾くんのように、私も大人になっていきたいな

 

何より、たくさん私の心を動かしてくれてありがとう…!という日本語はちょっとおかしいかもしれませんが(笑)

伊野尾くんのおかげで毎日がすっごく楽しくて、生きることがすっごく楽しいです☺️本当に心からありがとう…!

 

 

伊野尾くんは何で心が動きますか?

誰かに心を動かされていることももちろんあると思いますが、伊野尾くんは伊野尾くん自身の活動で心が動いてたりするのでしょうか…

 

 私が伊野尾くんにもらったように、伊野尾くん自身も人生が楽しいと思える日々がたくさんありますように。

 そして、伊野尾くんがたくさん美味しいものを食べて、伊野尾くんの大好きな人たちに囲まれて、夜はぐっすり眠につけますように。

 

 

 

今日は伊野尾くんに出会えたことから何から何までに感謝して…🌠

 

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31歳

 

 

 

 

 

30歳からプラス1歳ですね

 

 

伊野尾くん31歳のお誕生日、

おめでとうございます…!

 

 

31歳の伊野尾くん、はじめまして。

ふふふ

 

 

正確には31年前の19時14分にお生まれになったと昨年教えてくださりましたが、そのことを踏まえると少し早とちりですが、、、

 

おめでとうございます…💐

 

 

 

 

 

 

二ヒヒヒヒヒヒ☺️

二ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒニヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ

(暫しお付き合いください)

エヘヘヘヘヘヘエヘヘヘヘヘヘへへへへへヌフフフフフフフ

 

はぁ…嬉しい。うん嬉しい…。

水彩画を描いた時のようにじわ~っと、色が広がっていくみたいな。嬉しい気持ちが全細胞にバケツリレーのようにじんんわりと広がっていっている感覚、不思議だ

そして自然と笑みがダダ漏れてしまう、気持ち悪いゾ

 

 

新しく買った手帳にワクワクした気持ちと共に一番最初に書き込む予定、6月22日。

 

"伊野尾くんのお誕生日"

と書いて、付属のミッフィーの(どうでもいい)お誕生日シールを3枚も貼っちゃう豪華っぷり🦦

 

そんな日が訪れた今日は、手帳の6月22日の四角い枠も飛び出してきちゃうほど喜んでいるはずだ、私も地球から飛び出しそう

 

 

 

 私はこのブログを30歳になられてからの一年の中で、伊野尾くんへの気持ちを言葉にしたい!という衝動が訪れるたび、このブログの下書きに残すという、もはや私の心の金庫みたいに使っていた。

 

そして、お誕生日以前に一つの文章にまとめるというのが最近の私の恒例だ。

 

 

と、こう自分のしていることを言葉にしてみると、むににの日がレポート提出日みたく

"伊野尾くんへのラブレター提出期日"みたいになっていることに気づく

 

 

私にとっては6月22日が第一の元旦のようで。6月22日はある意味一年の区切りで。

(1月1日さんには二番手の元旦を担ってもらっています、すみません)(…………誰への謝罪?)

 

 

1年という言葉、1年という物差しが存在しなければ、時間を繰り返しているという感覚はきっと無くなり、時が永遠と進んでいく世界になるだろう

 

1年という物差しがあるからこそ、

きっと"1年"を振り返れる。

1年を振り返れるからこそ、

伊野尾くんがくれる毎日を、一日も余すことなく伊野尾くんにありがとうが言える

 

 

毎日言うとありがとうの株価が暴落してしまう気がするので(伊野尾くん主総会に引っ張られてんな)

1年分のありがとうのラブレターを2021年のこのむににの日にこっそり提出したいと思います。

 

 

 

 

 

 

このブログに思いを置き始めたのは2020年9月3日、木曜日だった。

 

 

この日は伊野尾くんが療養を終えられた日、

久しぶりにお目にかかれた日、である

 

 

 

5時過ぎ。

まだ外も暗く、家族を起こさないようにテレビだけがこうこうと点いていて。

世界がまだ目を覚ましていない朝、テレビの真ん前で正座して号泣してる20代女性の図は今思い返すと割と滑稽。

 

思い返せば、この近辺の数週間は流しそうめんができるんじゃないかっちゅうほど泣いた(いや汚いな)

 

治療法も実態も解明されていない未曾有の疫病を抱えることの怖さ、

周囲がご自分の感染がきっかけで様々な対応を強いられること、恩を忘れない伊野尾くんだからきっと、いっぱい自身を責めておられるだろうと……うん、想像できた。

  

 

その上時間があることは、思考を増加させていただろう。

密室でお一人で過ごされるということは、ネガティブにしか捉えられなくなるような不穏な悪魔たちがきっと伊野尾くんに迫っていたのではなかろうか。とも思った

 

ベッドで横になっている伊野尾くんの周りに不穏な悪魔達が集まっていることを想像すると、槍を持って飛び出していきたい気分だった。でも祈ることしかできないこの無力さと、この距離。

 

悪いことかのように、真髄とは裏腹な憶測で、鋭利な稚拙な言葉で、大好きな人を語られ、 今まで魅せてきてくれたものを無かったものかのように大好きな人の写真が使われる。

 

 

ただ伊野尾くんが抱えきれないほどの思いをひとりで毎日持ち続けているのだと思うと、ひとしきり泣いた。

もはや何の涙かも分からなくなっていた。

 

なんで私は伊野尾くんの連絡先を知らないんだ?ということまでも考えだしていた。

スマートフォンのロックを解除し、「あそっか、私知らないんだ」と思った時は自分で自分を撫でた。

 

 

 

"伊野尾くん!また待ってるね!"と笑顔で待っていることがきっと伊野尾くんのためだったろうにそれができるのには時間を要した。

 

 

再度この話をすれば伊野尾くんは「ん〜申し訳なかった」と少し申し訳なさそうに、でも少し明るい声色でおっしゃりそうで。

 

この時の思いを書き残そうか正直の所悩んだ。

無かったことにもできるこの時の思いだけど、何だか無かったことにしてはいけないような気がして。何でそう思うのかの理由もなんだか明白ではないのだけど。ん〜でも、残させてください…。

 

復帰されてからというと、

レギュラー番組の皆さんの温かいお声がけ

メンバーからの愛のあるブログ、言葉たち

伊野尾くんが大好きな方々からのたくさんのおかえりの声……

 

たくさんの温かい言葉で溢れていた。

 

 

伊野尾くんがこれまで魅せ続けてきたもの

伊野尾くんがこれまで周囲の皆様に見せていた姿勢、与えていたものたちが

復帰とともに伊野尾くんの元に跳ね返ってきたかのようだった

 

伊野尾くんのこれまで、伊野尾くんのお人柄こそ素晴らしいものであったのだと、そう言わんばかりの温かい言葉たちで溢れていたんだ

 

それが、とても、とっても嬉しかった

 

 

 

 

 

勿論それだけではない

 

伊野尾くんがこうやって立っていてくれること

伊野尾くんが笑顔を見せてくれること

伊野尾くんの声が聞けること

伊野尾くんが立つ居場所を支えてくださる方々がいること

 

 

いや〜〜〜〜〜〜痛感した。激痛感したね。

 

 

何度頭で立っていてくれることが当たり前ではないと言い聞かせていたって、一度当たり前がない状況を体験をすることにはその当たり前に気づくに及ばない(日本語アッテル?)

 

 

だから、そう気づかせてくれたからには伊野尾くんがくれる毎日にありがとう、伊野尾くんが魅せてくれる世界にありがとう、たくっさん言いたい!!と心が燃えた

 

 

8月9月はそんなずっと持っておきたい気持ちを教えてくれた月だった

 

 

 

 

 

 

 

結局30歳の伊野尾くんにはお会いできなかったなぁ

 

 

でも、寂しくなかったといえば嘘になるが、思っていたより寂しく無かったなぁとも思う

 

 

それは私自身が追われていた日常があったことも要因だと思うが、ひとえにHey! Say! JUMP、伊野尾くんの活動や存在のおかげだとヒシヒシヒスヒス感じている。

 

 

 

 

 

 

 

私は「慧」という漢字がすごくすごく好きだ。(急だな)

 

 

伊野尾くんのお名前を初めて知った時が、この漢字との初めての出会いだった。

そして、初めて伊野尾くんのお名前を見た時、この漢字を彗星の「彗」に「心」!と勝手に分解していた。

 

 とてつもない輝きを放ち、そして残像が見えないほど早く眩しいまま過ぎ去る彗星はなんだかめちゃくちゃ伊野尾くんそのものだなと思った

 

それに「彗」の上にある三に棒の部分は、笑った時に目の下に少しシワができる伊野尾くんの表情にも似てるなぁとと思う。

「心」はニーッと笑う伊野尾くんのお口みたいにニーッ!ってしてるなぁと思う

 

私は伊野尾くんがたっぷり詰まった「慧」という漢字が大好きだ

 

人生で一度くらいは好きな漢字は?と書かれたことがあるだろう。年末によく見る今年の漢字は?!の質問以外でどのタイミングでこの質問が飛び交うかはん〜ちょっと思い出せないけど、そう今聞かれたら…まあ恥ずかしくて言えないけれど心の中では「慧」という漢字が好きです!と言うはず

 

初めて「慧」さんうちわを作った高校生のころ、作っておきながらめちゃくちゃデヘデヘして照れたなぁ、ボソボソ

 

 

 

 

伊野尾くんのお名前はいつしか私の魔法の言葉になっていた

高校時代、よくノートの隅っこに伊野尾慧くんと書いてニヤニヤしていた。まあ大学生になっても変わらなかったのですがネ

 

ファンレターを書こうと思っても、第一関門はお名前だ。上手く書けず何度も書き直してしまう。伊野尾くんは光を纏った神聖なる言葉でもある

 

 

あ〜もう無理ってなったらこの呪文を一緒に唱えましょう!🪄という場面になったとき、私は「伊野尾くん伊野尾くん伊野尾くん…」とブツブツ言い出す(無意識)(怖)  

伊野尾くんを唱え出すとあっ自分疲れてんなと気付かされることもある(笑)

 

 

とにかく、伊野尾くんは私の心のお守りみたいな存在なのだなぁと最近思う。

 

安全基地というのだろうか。心の居場所というのだろうか。お名前だけというと違うかもしれないけれど、お名前だけで世界がパッと曇り空から太陽の光が差し込んできたかのような気持ちになる。

なかなか追うことができない毎日なのだけど、伊野尾くんがお守りみたく私の心にいてくれることが、どれほど励みになるか。

米を食べるよりも、お肉を食べるよりも、お寿司を食べるよりもきっとエネルギー出てる。ゼッタイ。(あ、お寿司食べたい)

 

 

 

伊野尾くんがずっと私の心でお守りみたく、いてくださったから寂しくなかったのかもしれないなぁと伊野尾くん30歳の一年を振り返って思う

 

 

 

 

 

 

 

 

それに今年は実際にお会いできるライブがなかったのにも関わらず、一方的に思いを寄せていたという感覚がなかったように思う

 

ん〜この言い方はおかしいかもしれないな。

一方的に思いを寄せているという感覚は常にないが、今年は会えなかったのにいつもよりたくさん伊野尾くんからの思いを感じ取れたように思う。

 

ファンからの「一方的な思い」と言う言葉自体、アイドルとファンの関係性にまつわる教科書があれば存在しない言葉のように思える。

それだけアイドルはファンからの思いに応えることが当たり前になっているのかもしれない。

 

 

 

もう2年前のライブになってしまうが、伊野尾くんがもう2メートルほど(体感30cm)のところという激近距離までソロでトロッコに乗って来てくださったという経験がある。あれは一生の運を使った確実に

 

ここは銀河????と錯覚するくらいカッコよくて、カッコイイって言葉を全世界から集めても足りないくらいカッコよくって、綺麗で、美しくて、神々しくって。

これはもう言葉にはできないほどの感情だったのだけど、笑顔で手を振ってくださった伊野尾くんがどうしても綺麗で堪らなくカッコ良かった。

 

でもそれだけじゃなくって、カッコ良さに圧倒されただけじゃなくて、

(人とは思えなかったのだけど)

人と人として伊野尾くんを間近で見て、「大事そうに」と言えばいいのか、凄くたまらなく優しい表情でファンを見てくださっているという感覚がギューーーーーーンギョーーーーーーーーンと私を襲った。

 

私はこの時、これまで勝手に送っていた思いたちを伊野尾くんに受け止めてもらったような気がした。

 

気づくと蛇口を捻ったように泣いていた

伊野尾くんが大好きだという思いで細胞が満たされ、溢れかえったかのようだった

今でも宝物の思い出で、今も思い出すだけで泣ける……。子役で泣きのお仕事がありましたらさせていただきますのでお待ちしています。

 

 

でも終演間近、「ファンサしろよな」という声が聞こえてきた。幻聴だったかな

 

 

たしかにバキュン!指ハート!とかうちわに向けてファンサービスをすることこそがアイドルの使命かのように思ってしまうこともあるよな

 

それが無ければ、やっぱり思いが「一方的」だと感じてしまって。だからこそ出てしまった言葉だったのかなと思う

(うちわにたくさん答えようとするアイドルの皆さんも一生懸命で本当に素敵で大好き!関係ない私が貰い死にしてる)

 

 

伊野尾くんはそういったことは比較的されない方かもしれないけれど、でも伊野尾くんってたくさん返してくださっているんだよ!(と私は勝手に思ってる)

 

その返しは必ずしも言葉や行動といった形ではないかもしれないけど、

どのような思いなのかはたしかに形として具体的に伝わるものではないかもしれないけれど、

 

ずっとライブで表情を見ていたらすごくすごくすごく優しい表情や笑顔を見せてくださって、

イヤーカフやカラーコンタクトをしてきてくださったことだって、

(メッッッッッッチャかっこよかッタ)

活動に対して思いだけじゃなくて実践的に取り組んでおられていたことだって、

突然始められた昆虫webだって、

先日のらじらーでも伊野尾くんがおっしゃった言葉や声の調子、優しい相槌だって、

 

私の心が堪らなく嬉しいって叫んでいるのだ。

私の思いは一方的ではないとそう思える。

 

 

 

どんなにおっしゃった言葉を別の人がスマホの電子文字に起こしてその言葉をなぞったとしても、伝わらないものがあって。

やっぱり伊野尾くんの声で、伊野尾くんの声のトーンで、スピードで。スマホの無機質な文字では伝わらない、心が感じるものがそこにはあって。(らじらー聴き逃し配信ございますのでよろしければ…)

 

 

勝手に私がいい風に受け取っているだけかもしれない。

本当のところは違った思いを持っておられるかもしれない。

でも、私が感じたことは私にとっては真実で。伊野尾くんの想いに触れるたび涙が出るのも真実で。

伊野尾くんが素敵な人だと私の心が叫んでいるのも真実で。

 

(伊野尾くんは伊野尾くん自身が感じた時に感じたことを表現してくださる方だと勝手に思っているが、だからこそ伊野尾くんから感じたことは確信が持てるのかもしれない。)

 

もしのもし、伊野尾くんが極悪人でも、

私が思った人ではなかったとしても、

これだけたくさん「大好き」をくださった伊野尾くんへのありがとうの気持ちは1gも変わることはない

これだけは言えるもんね!フフン!

 

 

伊野尾くんが大好きになれてよかった💐

好きって明確そうで不明確な感情だなぁとたまに思いますが…来年も好きだ!と、このブログを書いている保証は100%とは言えないけれど、今この瞬間伊野尾くんからありったけのありがとう!大好き!をいただいたこと、やっぱりこの言葉に尽きるのですが、ありがとうございます💐

 

 

 

 

結局なに書いてるかわからないブログになってしまいましたが、もし読んでくださった方がおられましたらありがとうございますの気持ちです………伊野尾くんかっこいいですよね…(急に話しかけるな)

 

 

 

 

 

また好き好き言ってしまうかもしれませんが、それだけご自分が素敵な方なのだと、ご自分のされてる仕事がこんなにも素敵なことだとご自分を褒めてくだされば嬉しいなぁ。

 

伊野尾くんに生かしていただいた人間として、伊野尾くんのすんんんばらしさの証明人として、私も私の人生を開拓していきたい

 

 

そして伊野尾くんには幸せであって欲しい…!(振られた当て馬役みたいなこと言うやん)

 

 

おいしいご飯を食べて、ふかふか布団で寝て、温かな夢を見て、伊野尾くんの大事な人たちとなんてないことで笑い合って過ごしてくだされば良いなぁ。

 

 

 

 

なんつって、何個も年が下の私にそんなこと言われても伊野尾くんは少し困っちゃうかな?

 

 

 

 

これからも伊野尾くんがくれる大切な時間と思いを、私も大切にしたい。

大切にするって何?について書こうと思ったけど長くなるからやめましょうね。

 

 

 

改めて、お誕生日おめでとうございます。

 

30歳の伊野尾くん、

私の好きな人になってくれてありがとう。

私の心のお守りになってくれてありがとう。

31歳の伊野尾くん、

どうか今後ともよろしくお願いします。

 

 

たくさんのありがとうをパンパカパンに込めて。

そしてドラマ決定、おめでとうございます。

 

 

 

 

💐

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4月11日

 

 

 

ん〜〜〜〜想像できない!

 

 

 

 

 

 

9人のJUMPちゃんを見るのをずっと楽しみにしていて、でもそれは最後の9人で。

 

 

 

 

こんなに、ぐるぐるねるねるねるねな気持ちになった1週間は初めてと言っても過言ではなかろう、なかろう

 

 

 

私はHey! Say! JUMPが大好きだ

9人でも8人でも大好きだ

 

 

 

 

この2年半、8人グループと言われてきたけれど、そのように紹介いただく度、8+1人だよ!と心の中で言い換えてきた

 

 

 

 それは言い換えなければ!と義務的に思っていたというわけではない、Hey! Say! JUMPは9人で成り立っているものだからと普遍的なものだと思っていたからだ

 

 

 

 

やっぱり「9」という数字が好きで、というより宝物のような数字だった

 

 

 

 

 

 動画を見た日は、心の色がカラフルな粘土が混ざりに混ざったようなすんごい色になっていたなぁ。

 

 

動画が来て、帰ってくる!!!!と思って動画を見たので、そのあとの気持ちといったらスカイダイビングするような気持ちだった。ドーーンと上がってヒューーーーンと硬直したままスカイダイビングした気分だった

 

 

 

その後は緑色のものを見れば思い出し

退勤カードを切れば思い出し、

眠りにつく時に思い出し、

また朝起きたら思い出し、

前に買った9人のポスターを見て9人になったらまた全員のポスター買うと決めていたことを思い出し、

8人の全員写真を見れば、カッコイイけどやっぱり物寂しいと常々感じていたなあと思い出し、

とこの数日間私の脳は何かを見てはそのことしか考えられない短絡的テキ脳になってた

 

 

 

 思い出すのは圭人くんの姿だけではなく、以前繋がっていた圭人くん担の方も。

Twitterをやめられた方だけれども、圭人くん担の方が、「帰ってきたらおかえりのうちわを作るのが夢」と常々話されていたことを思い出す……お元気かな……

 

そうやって2年で帰ってくると宣言していたのを信じて、それを糧に生きていた人がいることは大きな大きな事実だ…。

 

 


 数日間なんでなの?と答えがわかり切っている疑問を繰り返している中、ふと私が好きだった圭人くんの姿が走馬灯ほど早くはないけどじわじわ思い出されてきた。走馬灯って言葉かっこいいよね、なんか(今言うな)

 

 

コンサートではけ際に一生懸命両手で端から端まで手を振る圭人くん

ブログにも毎回ファンへの思いを書かず告げていた圭人くん

「おい圭人!」とみんなに囲まれている中、眉毛が下がった表情をしながらも控えめながらもすごく幸せそうに笑う圭人くん

みんなから飛び出すエピソードが天使…と言うより菩薩様…いやいや天使界の菩薩様…と言わんばかりの素敵な心の持ち主の圭人くん

 


いや…圭人くん大好きやねん………

あの圭人くんがあの決断をするまでに、今私が感じているなんで?!を考えなかった訳がないよなぁ……

ましてや自分の夢への思いに気づいた時にどれだけ苦しい思いをして、そして勇気を出して言ったのかな……

なんだか数日経ってふと気づくことができた

 

 

いや…人間て分かり切っていることでも受け入れられない時ってあるんやなぁ………初めは2年半待っていた自分のことしか考えられなかったけど、だんだん圭人くんと8人が決断するに至ったそれまでを想像しようとすることが少しずつできてきた

 

 


いや、でも圭人くんが最愛なる人である方々、そうでなくても9人を待ち望んでいた方々の中でまだ受け入れられないと思っている方には色んな思いを抱えていてもこんな思い抱えてちゃダメだと思わないで欲しいなぁ…そして温かいごはんを食べて、温かく眠れて、いつか笑顔で過ごすことができていればいいなぁと切に思う…

 

 

 

 

 


今はこのように少しずつ心の整理をつけ始めることができているけど、

 

動画の最後、2年半前当たり前のように見ていた光景のように笑い合ってるみんなを見て、9人だ…と心待ちにしていたものを見ることができて心が熱くなったと同時に

ちょっと待って…と思ったのは、

突然聞いた話を受け入れられる心のスペースがなかったこと、もうすでに決断してしまっている皆に置いてかれるような気持ちになったからなのだと思う…

 


みんなが決断をするのにだって、附に落ちて納得するまでにはきっと沢山の時間と思いを聞く場があったと無論想像できる。でもその過程は私達には見えないもので。

 

もう決断してしまった、いや…語弊だ…決断したみんなしか私たちには見えなくて。

みんなが決断した過程が見えないからこそ「ちょっと待って」と思っていたのだとも思う。

 

でも先日有岡くん自身が納得していった過程を教えてくれたことで、8人と同じように私も理解して応援していく姿勢になる過程を少し進めることができたなぁと思う…(必ずしも納得しなければならないこともないとも思う…!)

 

 

まだ寂しい気持ちとちょっと待ってって言う気持ちが混在しているけれども…うんうん…ヨシヨシ……

 

有岡くんありがとう…有岡くんの有は有難うの有だね…

有岡くんを本当のお兄ちゃんのように慕う圭人くんが可愛くて好きでした…

おっと🤭過去形だ🤭好きです!!!!ズット!!!!

 

 

他の JUMPちゃんのメンバーのみんなも話してくれてありがとう

 


 完璧に心の整理がつくまで時間がかかってしまうだろうから、100%応援してる!と言うにはまだちょっと時間がかかるかもしれないけど、圭人くんの決断を心から応援したいと思っている気持ちはあるんだ…あるんだけどでも今だけはどうか9人のJUMPちゃんを楽しみにさせてください…

 

 

 

 

配信が終わったらバイトに行くワタシはどんな気持ちでいくのかな、マスカラやめとこ

 

 

 

 

 

 

 

こんな時に思うのは違うのかもしれないけれど、こんなにもグループのことで泣くことも悲しいことも笑うことも全力でできるなんて、私はなんてグループに出会うことができたのだろうと、Hey! Say! JUMPに会えた喜びを噛みしめている。

 

 

このブログだって、大学のレポートじゃ全く進まないのに、Hey! Say! JUMPへの思いだったらツラツラ書ける、、、(あ課題やらなきゃ…)

 

 こんなに言葉や言葉に表せないような感情が自分の中に生まれたこと、それほどまでのものに出会えた私ってなんで幸せなんだろうと深く噛み締めている

 

 

 この感情たちに出会えたのは、紛れもなく圭人くんと8人がいるHey! Say! JUMPに出会えたからなのだよ。

 

 

 

圭人くんがいなかったら私こんな大好きなグループに出会えていなかったかもしれないんだ。

 

 

 

ありがとう、私は圭人くんに出会えて本当に本当に最高の人生になっているのです。

 

 

 

 

今日は分岐路の手前にあたるのかな、もうすぐ別々の道になるけれど

でも今日は目一杯目に焼き付けてもいいかな?きっと涙が出てしまうけど、これはさよならの寂しいの涙だから、どうか許してほしいな

 

 

 

 

30歳のお誕生日

 

 

 

30

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指で30を数えた時、最後にはどちらの手も伸び伸びと開く

 

「キリがいい。」

 

 

 

10進法を人間が用いるようになったのは指の本数でもあり、数えやすいからではないだろうかと勝手に推測している。

10が区切りがいいというのは、そう、ご先祖様が、人が決めた区切りだ。

人が決めたということは29だって、30だって、31だって、区切りになり得る数字だったのではないだろうか。だから30で区切りがいいとか、たかが人間が決めた区切りで特別感が出るとかいうのは………

 

 

 

 

 

というばかりに理屈臭く、私は削る前の鰹節のように頭が硬いなとつくづく思う。「区切りがいい!なんだが特別!」と素直に思えばいいのに。

 

 

 

だけど、今回は違うんだ。

 

ふふふ。

 

 

伊野尾くん、30歳のお誕生日おめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

30年もの間呼吸に循環に免疫機能もろもろを働かせ続け…伊野尾くんの細胞ひとつひとつに感謝申します…今日もこれからもずっと伊野尾くんの健康のため頑張ってくださいませ…伊野尾くんの中の細胞様方……

 

 

 

 

 

はて、お誕生日を祝いたいと言う気持ちの本質とは何だろうか。

 

 

生まれた時、きっと伊野尾くんに限らずこの地に生まれてきた人間は、幾度と無く重なり合う運命と奇跡、そして人々の愛によって生まれてくるものだと思う。誰しも人々は奇跡と愛の賜物だと私は信じている。誕生日は、数年前のその日、生まれたことの奇跡、そして周囲の人々の愛に包まれたあの空間に立ち戻る日だと私は思う。

だからこそ、誕生日は祝う気持ちが生まれるんだろうなと思う。

 

 

 

 

こんな私が言うなんて大変おこがましいけれど、

伊野尾くん、生まれてきてくれてありがとうございます。💐

 

 

 

生まれてきた奇跡、沢山の愛、全てに感謝だなぁ。

 

 

 

こんなこと心から思う誕生日があるとは思いもしなかったけど。

 

 そんな伊野尾くんに出会えたことは私の人生史を死ぬ間際に書くことになろうであれば、それはそれはもう大きな見出しになる出来事であろうなぁ…。

 

 

 

 

 

はて、

 

「伊野尾くんのどこが好きなの?」

とたまに質問をされることがある。

 

 

 

こういう類の質問は正直苦手だ。

 

下手な言葉で表現してしまうと、私だけでいいものの伊野尾くんのイメージさえも下がってしまうのではというプレッシャーのようなものがかかってしまうからだ。そして私はこのまだ言葉を使って表現することができないこの伊野尾くん感情を伝える言葉を見つけられていないから、

 

 

全部

 

という答えを言う。

 

 

 

嘘では無いけれど、本当のところは言葉にするのを諦めているからこういう答えを言ってしまうのかも?とも思ったり。

 

 

 

なぜ好きなんだろう…?なんで伊野尾くんなんだろう?

 

節々に私が伊野尾くんに好きだなと思う理由を自問自答してきたけれど、数多にあるような…言葉に表せないような…

 

 

 

 

でも言葉が見つからなかったって、わたしの心が好きだって叫んでいるならそれでいいではないかと思うようになった。

 

 

 

そう思うようになった私の短いヲタク人生の中で、強く心が動いた出来事がある。

 

 

 

 

I/O、アリーナツアー。

最後の挨拶、一人一人挨拶をしていく時、

 

伊野尾くんはトップバッターだったかな?

 

伊野尾くんは、いつもしてくれるように「い〜の?」と私たちに投げかけ、「おっけい〜!」と会場の声が一つになって伊野尾くんに帰ってきた時、伊野尾くんは少し潤んだように見える目をしていて、フフッと堪えきれなかったように笑ってた。

 

この時の笑顔が忘れられない。

 

 

 

「あぁこの人のこと好き」と思ったことを覚えている。

 

 

 

他と比べる暇さえない。

この人が世界で一番愛おしくて、世界で一番素敵な人だと本当にその瞬間悟った。

 

 

 

見たこともないし、知りもしないがこれこそビッグバンが起きたと根拠もなく確信した。

 

 

そして今でもその時のことを思い出すと、涙が出る。もし私が子役で、幸せ溢れる涙のシーンがあれば、このことを思い出しながら泣けるだろうと謎に確信しているほど。(笑)

 

 

 

好きに考える暇なんてないのだ。

大脳まで伝達している暇さえなく、全神経細胞が感じて叫んでいるのだ。

 

 

 

声を聞くたび、姿を見るたび、

踊る姿を見るたび、目まぐるしく変わる表情を見るたび、

伊野尾くんが紡ぐ言葉を感じるたび、

とめどなく心から好きが溢れるんです。

 

 

 

伊野尾くんって怖いなぁ…何者なんだろう……ふふふ

 

 

 

 

伊野尾くんがくれた言葉で表せないほどの沢山この感情を大切にしたいなぁ。

 

 

伊野尾くんが好きということだけで、自分の心の居場所が生まれて、その居場所がどれだけ自分の人生を彩って勇気を与えてくれていたのかな。

 

きっと伊野尾くんへの興味や好きな思いが薄れてしまった時が来ても、今まで魅せてくださってきた時間やその時の私の思いは変わることないし、ずっと特別な方であることはきっと変わらないだろう。

 

 

そんな風に思わせていただいたのも、伊野尾くんだったからだと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。何回言っても足りないけれどありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

今日も伊野尾くんが笑っていますように。

今日も伊野尾くんが元気で過ごせますように。

夜ぐっすり眠りについて、そして温かな優しい夢が見れますように。

 

 

 拙い文章で、上手く言葉で紡げないけれど、今日も伊野尾くんが大好きです。

いつもありがとう。

これからの伊野尾くんがくれる時間を一瞬一瞬伊野尾くんよりももっともっと大切にしたい。

 

 

 

 

 

お誕生日おめでとうございます💐

 

 

2020.06.22

 

 

29歳のお誕生日

2019年6月22日

伊野尾くん、

29歳のお誕生日おめでとうございます。

 

 

 

ふふふこれからもどうかどうか健康であってください。

 

 

正直こんな人の誕生日に嬉しい気持ちになったのは初めてだだだ…もしかして次こんな気持ちになれるのは息子や娘の誕生日かな…もしや伊野尾くんは私の息ッ…(😐)

 

 

 

はて私はたった数十年近くしか生きてない人生の中で伊野尾くんをこの上なくなくなっく好きだと感じているのだけれども、来年の今頃には伊野尾くんがさっぱり好きじゃなくなってるかもしれない。私が生きてるかもわからない(話がビッグスケールになってるで)。はたまた伊野尾くんがアイドルでいてくれるかもわからない。今この「ズギダ〜〜〜〜!」っていう気持ちととんでもなく溢れてる感謝の気持ちは今しか言葉にできない気がするからちょっと文章にしてみようかなと思います

 

もしこれから書く日本の片隅に住んでる私の伊野尾くんへの思いなんてプランクトンよりちっぽけ奴が思っていることだけれど、それでも読んでくださる心の優しい方は右から左へ受け流してください

 

 

 

 

 

伊野尾くんを見てンヒャ〜〜〜〜!!ンダ〜〜〜〜〜〜!!!とエブリタイムカッコイイかっこいいスッキ!!!!!って言っている私をよそに、

ボソッと「好きなものがあるっていいね、私にはないな」とおとももちに言われたことがある

 

 

 

そうか、たしかに伊野尾くんが大好きでこの人をずっと見ていたいって思えたのも、特別なことなんだって思った

 

 

 

その時自分を振り返ってみると、伊野尾くんが好きっていう感情から私はたくさんのことを享受させてもらっていたんだなと気づけることができた

 

 

 

私は引っ込み思案で色んなことを考えてしまって行動が全くできなくて人見知りって言うとんでもなく内内な性格だけど、

伊野尾くんに出会って、自然とほんとに自然と周りがどうでもよくなって、気づけば心が軽くなって毎日が楽しくなった

「わたしには伊野尾くんがいる」じゃないけど、私の中の全力で好きなものができたことがいつのまにか私のアイデンティティになってたのかもしれない

 

伊野尾くんに出会ってからの私の世界は尋常じゃないくらいキラキラし始めて、毎日のつまらない通学も伊野尾くんのことを考えるだけでニタニタタニタして、生きるのも悪くないなって。ふふふ

 

 

伊野尾くんに出会ってからの人生はまだ短いけれどもとんでもなくキラキラしていて、とても濃くて、、アイドルってこんなにも人生を濃くしてくれるものだと思っても見なかったけれど、どんな濃厚ソースやねんってくらい人生が濃厚ソースになったんだ、そうヲタク生活は濃厚ソース

 

 

 

伊野尾くんがテレビなどで活躍しているのを見てデヘデヘニヤニヤしちゃうのも、

伊野尾くんの笑った顔を見ると心臓がギュオーンって絞られて苦しくなって心があったかくなるのも、

伊野尾くんの声を聞くだけで嫌なことや辛いことがぶっ飛んちゃうのも、

歌って踊ってる姿が世界で1番ハイパーウルトラミュージックパワーカッコイイすぎてもうおったまげ〜〜なのも、

何度行ってもライブで伊野尾くんを見るとせっかくしてきたメイクがもはやボロボロでプラス10000歳ぐらい老けてしまうぐらいずっと泣いてしまうのも

 

 

全部伊野尾くんだからです。

自分でもどんだけ好きやねん〜〜!ってぐらい大好きで大好きです。

 

 

どこが好きなの?って言われてもありすぎて語彙力も足りないので全部としか答えられないけれども、

儚くて消えてしまいそうで、フッと心を奪われてしまう人、

一つ魅力を見つけてもまた魅力が出てくる魅力が尽きない人、

一つの視点だけでなく多くの視点を持っていて、誰も考えつかないような気づかないようなことに気づける人、考えられる人

とっても情が熱くて周りの人を明るくできちゃう人………

勝手に好きになった私なんかが伊野尾くんについて語るなんて滅相もないけれど、本当に素敵な人、「素敵」っていう言葉がこの世で1番似合う人だと思う…

 

 

 

伊野尾くんが見せてくれてくれるアイドルの姿の一瞬一瞬が本当に愛しいです。

こんなにたっくさんの感情をくれて、しあわせな気持ちをたっくさんくれて、生きることを好きと思わせてくれて、

本当にありがとう、心からありがとう

伊野尾くんに出会えたことは私のかけがえのない財産です。

 

 

 

本当に本当に貰ってばかりで、、アイドルってそういうものなのかもしれないけれど、伊野尾くんには貰ってばかりで、、、ただただ感謝しています

私は伊野尾くんがおっしゃった味方でいられてるのかな…?味方になれているかは伊野尾くんにしかわからないけれど、伊野尾くんが味方とつけてくれたこの言葉が私の宝物です。

 

 

数年後には、ましてや明日には好きじゃないとか言っているかもしれない。この好きは見えない魔法だから。でもこの魔法にかかったことには後悔していないし、むしろ最高だし、いつか来るであろうこの魔法にやんなっちゃって払いのけた時でも私はこの魔法をかけてくれた伊野尾くんにありがとうって言いたい。

 

あとは、もしこれを読んでくださったフォロワーさん。読んでもらってなくても、伊野尾くんを好きになったきっかけで知り合った皆さん。同じ人が好きで同じグループが好きで、それを語り合える楽しさを教えてくれてありがとう…。

 

 

 

 

最後に、たくさんの伊野尾くんを発見することができる多くのお仕事やその仕事にまつわるみなさんに感謝と、またこれからも多くのことに挑戦できる機会が伊野尾くんに巡ってきますように…

 

あとは何よりも健康で…。

遠くからではありますが、伊野尾くんが寝るときは深い眠りで疲れが取れるように、悪い夢は私が食べますから良い夢が見られますようにと願っています。

 

 

 

今日は美味しいものいっぱい食べてくださいね😊

 

 

 

10周年

 

 

2007.09.24〜2017.09.24

 

 

Hey! Say! JUMP10周年おめでとうございます。

 

 

 

 

 

自分の話になってしまいますが、

私は中学生の頃Hey! Say! JUMPに惹かれました。

 

小学生の頃、再放送でやっていたアニメ「ラブ☆コン」にどっぷりハマり、その主題歌の"Hey! Say! 7"が大好きでした。

 

中学生になり携帯をもたせてもらい、曲を入れたいと思ってインターネットで調べていると、Hey! Say! 7がもう実在しないグループだと知りじゃあHey! Say! JUMPってHey! Say! 7の何なの?と思い調べだしたことがきっかけです。

Hey! Say! 7がHey! Say! JUMPになったんだと驚いた記憶があります(笑)

 

なんでそこから伊野尾くんだったのかは謎なんですけどね(笑)

 

 

それは置いといて、Hey! Say! JUMPを好きになる前の私は小学生だったんですけど、批判的に彼らを見ていた気がします、、

 

今思えば最低なんですけど、NYCがなんで紅白にでるの?と思っていました。

 

でもその時なんとなく小学生ながら、山田くんが大舞台の紅白なのにどこか寂しさが垣間見えたのを覚えてるし、NYCを見て自分の意志でなく大人が彼らを商品のように動かしているように見えて芸能界って裏が凄そうだなと思ったことも覚えています。

私の中のイメージは "山田くんがすごい推されてるグループ" でした。

 

 

全員が20歳を過ぎた頃、私はHey! Say! JUMPが気になりだしたのですが、私が小学生の頃抱いていたHey! Say! JUMPのイメージとは全く違って、

山田くんだけがキラキラしているわけじゃなく、みんなそれぞれ違ったカラーがあってみんなキラキラしていて、

口には出さずともお互いを認め合っている雰囲気がすごいあって

目標に向かって彼ら自身でHey! Say! JUMPを動かしている。

そんな感じがなんとなく見受けられて、9人に惹かれるようになりました。

(カップルの記録みたいやな)(ん?片思いか)(うるさい!)

 

(中学生の頃はキ◯マイや乃◯坂にも手を出していたミーハー野郎だったことは秘密ですよ?)

 

 

まあこんなミーハーで飽き性な野郎が 、こんなにどっぷりハマっていることに自分が一番驚いています(笑)

 

 

 

 

 

10周年になって、自然と今までのことを思い返すことが増えて考えることが多くなった気がします。

 

昔の映像や画像を簡単に見れる時代だから、私の知らない彼らを知ろうとすることはできるけど、やっぱりどんなに昔の事知ってもその時に実際に応援していた人との差は埋められません、百も承知です

 

だから「10周年」という言葉に肩身狭い思いがありました。

 

 

一番辛い時に支えてあげられていない私が祝っていいものなのか、と迷う気持ちもありました

 

 

でも、そんな風に悩んでいる時も、どんなに辛くて嫌になりそうな時も、いつも心から笑顔にしてくれるのはHey! Say! JUMPでした。

 

 

 

埋められない大きな時間があることを無しにするわけじゃないし、無しにするべきじゃないと思う。

 

 

だけど、伊野尾くんが大の大好きで、Hey! Say! JUMPのみんなが大好きで、Hey! Say! JUMPのことが大好きで全身全霊愛を送っているフォロワーさんが大好きな気持ちは揺るぎないものだから、応援できなかった日々のぶんもこれからのHey! Say! JUMPを全力で支えていきたい!!!!!!

 

 

 

 

と、大阪公演のH.our.Timeの時に泣きながら思いました。

 

 

 

 

 

きっと、10年って当たり前じゃない。

 

どんな辛いこともメンバーやファンの方と一緒に乗り越えてきた"10年"って、本当にすごい。

 

 

アイドル活動を続けてくれているのも、当たり前じゃない。CDを出すのだって、テレビに出てくれるのだって当たり前じゃない。

 

 

 

私をHey! Say! JUMPと出会わせてくれてありがとう。

10年続けてきてくれてありがとう。

どうしても上から目線っぽくなっちゃうけど、彼らを支えてきてくれた人たちにありがとうございます。

毎日幸せを届けてくれてありがとう。

フォロワーさんと出会わせてくれてありがとう。

私のフォロワーさんみんなありがとう。

 

 

(ありがとう言いすぎた笑)

 

 

 

 

Hey! Say! JUMPの思い、届いてるよ!!!

私たちの思いも届くといいな

 

 

 

JUMP、フォロワーさん、これからもよろしくお願いします(^^)

 

 

 

健康第一で!!ね!

 

 

この先もこの関係がずっと続きますように。

ついていきます。

 

 

TO THE TOP!!!

 

 

 

2017.09.24